あなたの命綱

あなたの命綱
久坂部 羊 (著)


現代医学における、がん治療のリアルを描いた考えさせられる物語でした。

がんで死ぬのは、悪液質という栄養状態が悪化して全身が衰弱するから。

悪液質になるのは、がん細胞から過剰に産生されるサイトカインが原因で、唾液からサイトカインを測定できるキットのサリバリー・チェックを開発し、がんの超早期発見ができる技術が公表されるという展開です。

 

 

主人公でノンフィクション作家の中道はがん治療の本を執筆しようと取材をしていきますが、友人の愛美ががんになったことを心配します。

抗がん剤の副作用がつらすぎて治療を中断し、AIメンターに相談する愛美に対して、何か役に立つことがないか探っていきます。

がんの診断はいずれも確定が難しく、サリバリー・チェックも、腫瘍マーカーも、PET-CTも一発でがんを診断できるものはありません。

がんの四大治療である外科手術、抗がん剤、放射線、免疫療法はどれも完全ではなく、まだまだ分からないことがたくさんあります。

また、がんの診断についても患者の知る権利もありますが、知らないでいる権利もあり、さらに徐々に知る権利といった配慮も必要という話も考えさせられました。

 


・あまり一生懸命になり過ぎずいい加減がよい加減ということもある

・命を延ばすのが正しいという思い込みを押し付けず本人の希望を優先する

・医者の仕事は患者の命を延ばすことと心を癒すことの両方だ


という榊医師の言葉は好きでした。

がんは治るか死ぬかのどちらかだったのが、第三の道として「治らないけど死なない」という考え方は興味深かったです。

がん治療について多くのことを考えた一冊でした。

 


あなたの命綱

書店を守れ!

書店を守れ!
今村 翔吾 (著)


作家でありながら、自ら形態の異なる3つの書店を運営している著者の言葉だからこそ、説得力がありました。

「書店は守るべきか?」を真に問うているところも好感がもてます。

不況であえいでいる業界は出版以外にもたくさんある中で、国が支援に乗り出してくれる業界はどれだけあるのか。

どれだけ自助努力に励んでも状況が好転せずしんどい人が増えており、書店が存在することで不幸な人が増えるなら書店なんてない方がいい。

リアル書店が消えて困るのは誰なのか。

現状の出版業界の在り方に目を向けながら、出版に関わるみんなが幸せになるにはどうしたらよいかを真剣に考えた内容でした。

 

 

書店間で価格競争が起きないようにするための再販売価格維持制度。

再販売価格維持制度があるおかげで、売れる見込みの薄い本でも書籍の価値が固定されているから、取次に返品すれば書店はキャッシュを回収することができている。

また、書籍の輸送が減少して物流コストが増加してしまう状況でも、儲からない物流を続けているのも取次。

トーハン、日販という二大取次が果たしている役割の大きさがよく分かりました。

透明なカバーや請求記号というラベルやバーコード貼りという図書館用の対応において、一般書店とは桁違いの組織力と効率性で図書館から発注される本の多くを引き受けているTRCという図書館流通センターの存在も知らなかったので勉強になりました。

 

 

値引き販売ができず、自社製品も開発できず、自助努力できる範囲が他業種と比べて少ない書店が生き残るために何ができるかを考えていく、というスタンスはよいと思います。

本書には描かれていませんでしたが、一万円選書を世に広めた北海道のいわた書店さんや、本屋大賞というイベントなど、出版不況に立ち向かおうとしている取組もあるので、購入したり、感想を書いたりして貢献したいと思いました。

 

 

他にも個人的に印象に残った内容を以下に抜粋。


・町の書店を守ろうと言うなら、地域の住民が必ず利用する往来に書店をおき、本というものを視界に入れてもらい、ふらっと立ち寄れる場所として設計していく


・限られた時間の奪い合い、可処分時間の争奪戦に本は負け続けている。時間がないから本が読めないと言いつつ、スマホをいじったり動画配信サービスを見る時間はある。社会に出る前の読書経験が、どの後の人生で本とどう付き合っていくかを大きく左右する


・作家も出版社も書店の未来を憂える気持ちは共通しているが、いざ自分で何かをやろうとなると話が変わってくる。「みんなで何かやろう」では物事は動かない。「俺がやるから、一緒にやりたい人はあとからでも合流してくれ」というスタイルに変えて、誰かが行動で示さないといけない

 


書店を守れ! (祥伝社新書)

学びつづける教師に

学びつづける教師に: こころの扉をひらくエッセイ50
佐久間 勝彦 (著)


カリキュラム通りにただ効率良く授業をするのが教師の仕事なのか、考えさせられる内容でした。

本書は教師向けに書かれた本ですが、教師以外の社会人が読んでも、学び続ける大切さが分かる一冊になっていました。

特に子どもに関わる仕事をしている人や、何かを極めたり追及したりする仕事をしている人には、心に響くことが多いと思います。

 

 

以下に印象に残った言葉を抜粋します。

 

・手道具は体そのものだ。体の一部として、考え通り、感じたとおりに使えなくては意味がない。嘘を教えれば嘘を覚える。研ぎは全くそうや。ほんとうを覚えるのには時間がかかる。時間はかかるが、一旦身についたら、体が今後は嘘を嫌う。嘘を嫌う体をつくることや。それは刃物研ぎが一番よくわかる

 

・教室が現場に変わると、ひたむきさが広がり、はりつめた空気のただよう教室で追求が進められていく。授業に引き込まれて心地よさを覚えるのは、「あと少しでわかりそう」、「わかりそうだけど答えが出せない」という状況において、その状態での深みやおもしろさにはまっている状態なのだと思う

 

 

・人の話を引き出し正確に聞き取って深く理解すること(インタビュー)と、見知らぬ土地を訪ねて風景と対話し現地の習慣を身につけること(フィールドワーク)、このことができればたいていの難関は突破できる。また、自分が今どこにいて、どんな立場に置かれているかを推測する知の等高線を自分の足裏と脳みそに刻み付けることができる

 

・教えること、は、伝えること、ではない。伝える要素ももちろん入っているけれど、教えるのは伝える以上に、教える対象の中にひそむ可能性をひっぱりだして育てることであろう

 

・「仏様の指」と題する話では、仏様はちょっと指でおふれになり、その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、男はからからと引いていった。しかし、もしかすると実際はそうでなかったかもしれない。つまり、仏様は見るに見かねておふれになろうとしたのだが、指がふれるかふれないかのその間際に、男は「自分の力」で車をからからと引いていったのかもしれないのだ。自分が努力して、ついに引き得たという自信と喜びを与えるのが、ほんとうに一級の教師なのだ

 

 

・すぐれた授業は、一時間の授業の流れのなかにかならずリズムがあり旋律があり、音色のようなものがある。また、衝突・葛藤があり、衝突・葛藤の結果として生まれる発見がある。また、異質なものをつくり出し、それを激しく衝突させ葛藤を起こさせることによって、新しい思考とか感情とかはつくり出されてくるのである。異質なものがぶつかった結果として、リズムが生まれ、旋律が生まれ、音色が生まれ、ドラマが生まれ、そのなかから新しいものが生まれてくるのである

 

・公園の隅で、その子供は一枚の葉の上で天道虫がじっと動かずにいるのを見ていたので、どうしたのだろう、ちっとも動かないね、すっかり疲れたのかね、それとも・・・とたて続けに話しかけた時だった。その子供は私の顔をじっと見てから、「天道虫はいつも何かしていなければならないの?何もしないことだってあるよ」と教えてくれた。ぼんやりしているのは人間にとって非常に大切な貴い時間であり、無為とは貴いものだ

 


学びつづける教師に: こころの扉をひらくエッセイ50

自閉症の僕が、今も跳びはねる理由

自閉症の僕が、今も跳びはねる理由
東田 直樹 (著)


著者の東田さんが13歳の時に書いた「自閉症の僕が跳びはねる理由」、高校生で書いたその続編、そして30代となった今回は、みんなが疑問に思っていることに答えつつ、自分の特性とどう折り合いを付けて向き合っているのか、を中心にQ&A方式で描かれていました。


参考ブログ:跳びはねる思考
https://nishigahara4-harikyu.com/blog/jumpthinking


著者独自の工夫や世界観は健在で、今回はそれがより具体的に描かれていたように感じました。

言葉がなかなか出ないとき、必死に過去の場面を思い出して言葉を探していることや、〇〇と△△のどっちがいい?と聞かれたら、好きな方ではなく、頭に残っているあとから言われた△△という言葉が口から出てしまうこと、開けると閉めるはセットになって記憶されていてドアが閉まるまで納得できないことなど、様々なエピソードが紹介されていました。

 

 

著者の言葉が響くのは、それが一般論や教科書に書いてあることではなく、自身が体験したことを繰り返し考察して自分なりの考えとして落とし込んでいるからだと思います。

なぜ指示通りできないのか、話が聞けないのか、突然の行動をしてしまうのか、といった自閉症の特性に関しては、著者の説明により言動の理由をある程度推測することができます。

それでも、著者の対応の仕方がすべての自閉症の方に当てはまるやり方ではなく、そのやり方をヒントにして、各自で考えて工夫をしていくことが大事なのだと思いました。

著者が使っている文字盤が本の巻末に付いていましたが、かなりの試行錯誤の末にたどり着いたやり方であることが描かれていました。

 

 

ほかにも印象に残った内容を以下に抜粋。

・言葉はわかっているけれど表出できない人もいて、表出できる言葉だけが、その人の言葉の理解度を表しているとは限らない

・奇声が止められないのは、びっくり箱みたいに飛び出す言葉を自分でコントロールできないからで、気持ちの問題ではない。げっぷが出るときと似ていて、あっと思ったときには口から飛び出している

・成功体験というのは課題ができることだけではない。大事なのは、次もやってみようと思えること。支援者に心がけてほしいのは、その人のやる気をどう持続させるか。そのために必要なのは失敗を失敗と思わないこと、失敗も成功するための経験の一つだと考えること。失敗がゴールではなく、通過点になることが、成功体験にとって大切なこと

 


自閉症の僕が、今も跳びはねる理由 (角川書店単行本)

踊りつかれて

踊りつかれて
塩田 武士 (著)


SNSの誹謗中傷がきっかけで自殺したお笑い芸人と、週刊誌の過度な執着により居場所を奪われた歌手を取り上げて、ネットのインフラ化やSNSの普及が社会にどんな影響を及ぼしているのかを描いた話です。

SNSの普及により、誰もが気ままに自分の意見を投稿できることになった一方、匿名性を武器に自らのストレス発散のため、有名性に対して敵意といった攻撃性を持ち、暴言、誹謗、中傷という銃を撃ちまくる安全圏からのスナイパーによる殺人を取り上げたのはとてもインパクトがありました。

 

 

本書では、告発者により安全圏のスナイパーたちが行った行為と、その個人情報を公開することにより、被害を受けた者と同じ状況に追い込むことから物語が始まっていきます。

告発者の瀬尾政夫はすぐに発見され、安全圏のスナイパーの一人から訴えられて警察に身柄を拘束されます。

弁護士の久代奏は、瀬尾政夫の弁護をすべく依頼人の物語を紐解いていく、という展開です。

事実よりもおもしろいことを優先する、自分が信じたい情報ばかり集める、承認欲求や小遣い稼ぎのために記事として配信する、といった悪意の連鎖により、攻撃された者はどれだけ追い詰められるのか、分かりやすく描かれていました。

 

 

攻撃のターゲットになった人間が浴びせられる情報量と、実際に負うべき責任との間に大きな乖離があり、社会的影響力の大きさがそのまま的の大きさになっているというのも、こういった悪意の特徴です。

厄介なのは、ネットに公開するやつがいる限り、過去の過ちが鮮度を保ち続けるということ。

面と向かっては主張できなくても、匿名性の高いツールをストレスの捌け口として利用する人が増えている現代社会において、今の法律は現代の情報が持つ力の大きさに対応できていないという主張は共感できました。

 

 

個人が匿名で情報発信できるから何を言ってもよい、という風潮には歯止めをかけるべきだと思いますし、当事者を死に至らしめるまで追い詰めるきっかけとなったネットユーザーに対して、警鐘を鳴らした一冊でした。

「匿名性は悪意の免罪符ではなく、人間の成熟度をシビアに測る物差し」という言葉は印象に残りました。

 


踊りつかれて (文春e-book)