日常にいかすアレクサンダー・テクニーク

日常にいかすアレクサンダー・テクニーク:すべてはがんばらなくてもできる
ピーター・ノウブス (著), 竹内いすゞ (翻訳), 楠 洋介 (翻訳)


私はアレクサンダーテクニークのレッスンを受け始めて9年目です。

少しずつ気付きを得られるようになってきていますが、なかなか習慣的な反応を変えることができないでいます。

それでも、気付くだけでも少しずつ体のコリや違和感が変化しているように感じられるようになりました。

 

 

本書を読んで改めて「気付きと選択」の重要性を再認識しました。

アレクサンダーテクニークは腰痛に効果があるとか、姿勢やボディワークのことであるとか、そういったことが書かれていたり解釈されている本が多い中、本書ではそれを明確に否定しています。

・職場で毎日同じやり方でPCに向かう

・話すときの立ち方

・車に割り込まれたときのリアクション

など、大多数の人間が毎日やったり考えたりする同じやり方、つまり習慣化された自動的に行われている言動について、「自動操縦をオフにして、意識的な選択を始めるための方法」というアレクサンダーテクニークの説明は他の書籍とは異なる言い回しですが、とても分かりやすかったです。

 

 

姿勢や体、解剖学とも関係がなく、「自分がものごとを行うやり方に気付いて新しい選択ができるようになる」ことで、痛みや苦しみが自然となくなっていくことが本質です。

本書は100ページ少々とページ数が多くないですが、アレクサンダーテクニークの本質は体のことではなく「気付きと選択」であることを、様々な視点から言葉を変えて説明されており奥が深かったです。

本書のところどころに挿絵があって、文章の説明だけではなく絵があることで、いかに無駄に力を入れているかが分かるようになっているのもよかったです。

無駄な力を入れる動作を何の違和感も感じず繰り返し行ってることが問題の本質であり、それに気付き新しい選択をするためにはアレクサンダーテクニークの本を読むだけでは難しい。だからこそ、教師の力を借りる必要があるというのも納得できました。

 

 

以下に、印象に残った言葉を抜粋します。

・動作はすべて筋肉を使わなければならないという通念があるが、それは当たり前だろうか?ものごとを行うために力を使う必要があるのだろうか?すべては力を使わなくてもできるのだ!

・私たちがかかえる身体的問題のほとんどは、以下の三つが要因。
 力の要らない上向きの方向性を失うこと
 体のバランスが崩れること
 不適切なところで体を曲げること

・ポイントは体ではなく、選択だということ。体でやっていることを変えるという選択が、体によってなされることはない。選択は意識的思考によってなされる

 

 

・アレクサンダーテクニークから得られた最大の恩恵は腰痛が改善したことではなく、人生をより多くの選択肢から選べるようになったこと。行動する前に立ち止まって考えられるようになったことだ。自動操縦に任せるのではなく、意識的に新しい決断をすることだった

・反応(reaction)は習慣的であるのに対し、応答(response)は選択的だ。習慣的な反応を抑制できる新しい応答の仕方を選択する機会が与えられる

 


日常にいかすアレクサンダー・テクニーク:すべてはがんばらなくてもできる

Touching Presence – 存在に触れる

Touching Presence – 存在に触れる: ありのままの今にいるということ
トミー・トンプソン

 

私がアレクサンダーテクニークを習っている先生から紹介された書籍です。

本書は「アレクサンダーテクニークとは何か」という説明はほとんどありません。

すでにアレクサンダーテクニークに関する知識があって、さらにそれを高めたい、深めたいと考えている人に対して、著者の実体験を通して得た知見や気付きを提供した内容になっています。

 

 

いる(being)、する(doing)、させてあげる(let)といった、本当に微妙な言葉の表現の仕方にも気遣いが見られ、意識や意図など、考えさせられることが多かったです。

一度読んだだけではとてもすべてを理解できるものではないので、繰り返し読みたいと思います。

 

 

個人的に特に印象に残った内容を以下に抜粋しました。

 

・定義を保留することについて

刺激に対する習慣的反応を後押ししないという点は「抑制」というコンセプトと同じだが、「定義を保留する」という考え方の方が、次に何をするという強調がなく、よりフィットするやり方で環境や他者と関わっていくこと目指していて、テクニークというより心的態度を表している。

→抑制というと、「○○をしないで、別のディレクション(意図・思考)を送り出す」というイメージだったが、定義の保留の考え方はもっと柔軟性があるように感じられた。

 

 

・教師の役割について

アレクサンダー教師は相手の生徒が吸収できる情報の量と、吸収し終えたタイミングに敏感でいる必要がある。手放すことを生徒に提案するとき、あなたがまだそこにいるか?そこにいてもらっていると感じられない場合、生徒は手放さない。

→ただ自分の考えだけで相手を判断しようとするのではなく、サポートがあるのを感じられる場を保っているという前提があって相手を送り出してあげるという姿勢は、アレクサンダーテクニークはもちろんのこと、他の教える、導くという仕事においても重要な考え方だと思った。

 

 

・プライマリーコントロールについて

頭が首に対して特定の関係性にあることで脊椎が制約なく健やかに機能でき、これが生体全体に影響を与え、私たちが重力に応じてどう動くかにも確実に影響が及ぶというプライマリーコントロールの考え方がある。

よく「頭がリードして身体がついてくる」という言い方をするが、それは正確ではなく、リードするのは注意と意図であり、それ以外の自分全部が活動に入るべく調整される。

→これを説明するための文章があるのだが、それが丁寧で分かりやすく、プライマリーコントロールの理解を深めるものになっていた。以下にそれを抜粋。

 

 

注目すべきは首はそれ自体で存在する何かではなく、頭とそれ以外をつなぐ連結部で、首は頭のための肢体、頭が動き回るための手段なのだ。

 

首の任務は頭、すなわち当人の注意と意図についていくために必要となる大きな可動域を用意することで、何かを見ようとするたびに毎回全身の向きを変えなくても済むようにすること。


首の筋肉は、頭が動けるようにすると同時に、動いている最中の頭を支えてもいて、首の筋肉と関節には圧倒的多数の感覚機構が備わっていて、それらは頭が今どこにありどう動いているかを身体システムに常時レポートしていること。

 

 


これによって、頭・首以外のすべての部位が当人の置かれている状況を把握でき、協調のとれた、サポートとバランスのあるやり方で、当人の注意と意図に沿って活動に入っていけるよう自らを整えられるようになっている。 

 


Touching Presence – 存在に触れる: ありのままの今にいるということ

ピアニストのためのアレクサンダーテクニーク

ピアニストのためのアレクサンダーテクニーク(ヤマハミュージック)
森朝

 

今まで読んだアレクサンダーテクニークの本は、アレクサンダーテクニークがどんなもので、どういった特徴があって、どう考えていくのか、というところに重点を置いているものがほとんどでした。

本書では体のメカニズムや具体的な練習方法、演奏の悩みなどが分かりやすく描かれていて、実用的でした。

 

 

「ピアニストのための」とタイトルにありますが、体への意識付けの基礎練習やクセが反射的に起こるのを防ぐ練習は全てに共通しているし、演奏の悩みについても手を使って仕事をする職業なら本書に描かれていることは役にたつ内容だと思います。

鍼灸マッサージ師としても、とても勉強になりました。

 


ピアニストのためのアレクサンダー・テクニーク

望ましくないやり方に気付いてもやめるのは難しい

「アレクサンダーテクニーク ある教師の思索」(幻冬舎)からのご紹介です。

Patrick J.Macdonald 細井史江 訳

 

アレクサンダーテクニークは、間違ったpostural behaviour(姿勢を伴う行動、振る舞い、習性)に気付き、それを抑制し、よいpostural behaviourに差し替える能力と説明されています。

望ましくないやり方に気付いたら、やめればよい。が、「言うは易く、行うは難し」と言われています。

まず気付くことが難しい。鏡で自分の姿をみても、どれだけ正しく認識できるかは微妙で、実は人は自分の見たいものしか見えていない。

そのやり方が馴染んで習慣化しているので、特に違和感を覚えず、目にうつらない。次に、気付いたとして、それをやめることはさらに難しい。

なぜなら、そのやり方が習慣となったのには、長い時間がかかっており、それなりに「合理的な」理由があって習慣化したのである。

 

 

たえとば、歩く、椅子から立つ、座るのような日常的でありふれた動きは、普通、あまり注意を払わず、何気なく行っている。

たとえどんなに不自然な特徴的なやり方をしていたとしても、自分がどのように行っているかを正しく認識しているものは少ない。

それだけに無意識に根ざした習慣なのである。

少なくとも現在行っているそのやり方は、その人にとって馴染んだ、当たり前の日常であり、それを変えることは自分の「常識」を返ることなので、新しいやり方の方がより良い使い方であると頭で理解しても、違和感を覚えたり、間違ったことを行っているような感覚にとらわれたりすることもある。

つまり、姿勢を変えるということは、自分のこれまでの考えや常識を変えることにほかならず、その人自身の意識の深い部分に向き合うことになる。

これは、鍼灸マッサージの治療を行うにあたっても大事なことだと思いました。

まず体を緊張させたり、凝り固まっているということに気付く。

そのあと、それをどう改善していくか、患者さんと一緒に考えていく。

そうやって少しずつ長年の習慣と向き合いながら自分の体のことに向き合っていく。

そんな治療を目指したいと思います。


アレクサンダー・テクニーク ある教師の思索(文庫改訂版)

アレクサンダーテクニーク 「ある教師の思索」から

「アレクサンダーテクニーク ある教師の思索」(幻冬舎)からのご紹介です。
Patrick J.Macdonald 細井史江 訳



本書は、幼少期からアレクサンダー自身にテクニークを学んだマクドナルドさん自身が、自身の勉強のために残した私的なメモや、教師からの質問に真摯に答えた内容になっています。


アレクサンダーテクニークとはなにか?

これを人に説明するのは非常に難しいと思うのですが、本書の中で分かりやすく説明されていたので、いくつかを抜粋しました。

アレクサンダーテクニークは、間違ったpostural behaviour(姿勢を伴う行動、振る舞い、習性)に気付き、それを抑制し、よいpostural behaviourに差し替える能力


さらに具体的にどんなことをしているか、と質問された場合には以下のように説明されていました。


誤った行動パターン(習性)を認識すること、それらをインヒビジョン(抑制)すること。
それらを打ち消すためにダイレクション(方向づけ)を与えること。
自分が実際にしていることに対して感覚はうそをついているかもしれないと認識すること。


単に姿勢という固定的なものを学ぶものではなく、「適切な体勢(姿勢)で行われる動き」を学ぶという考え方も重要だと思いました。

 

身体を動かす


アレクサンダーテクニークはポジション(型、形、位置)を教えるのではない。


すべての普通のポジション(通常のすべての動きにおけるからだの体勢)における正しいコーディネーションを教えるのである。


アレクサンダーテクニークは「姿勢の規格化」と説明されることがあるが、「姿勢」にはあまり重きをおいていない。
私はむしろ「postural activity 適切な体勢(姿勢)で行われる動き」という言葉を使いたい。


それによって、「姿勢」という言葉からすぐに連想されるような固定的なかたちという発想から逃れたい。


アレクサンダー・テクニーク ある教師の思索(文庫改訂版)