オンライン、オンデマンドの講座で感じたこと

コロナ禍で、集合型の対面講座の開催が難しくなり、オンラインでの講座が急速に普及しました。

オンラインの中でも、以下の3つのタイプがあると思います。

①ライブ配信型のオンライン講座

②ライブ配信型のオンライン講座を後日視聴

③事前録画配信型のオンデマンド講座

 

 

オンラインとオンデマンドの特徴(いつでも受けられる、場所を移動しなくてもよい等)は、色々なサイトに書かれていますので、ここでは特に触れません。

参考サイト:学研教室
オンライン授業にはどんな種類がある? ライブ配信型・オンデマンド型 それぞれの特徴とは
https://www.889100.com/column/column067.html

今回は実際に私が講座を受けてみてどう感じたかを書いていきたいと思います。

 

①ライブ配信型のオンライン講座

実際にライブ中継でオンラインの講座を受講するケースです。

これは受けてみてもっとも対面に近いと感じました。

講師がリアルタイムでパソコン画面を操作したり、身振り、手振りを交えながらの説明で、頭にも入りやすかったです。

また、質疑応答についても、まずは会場にいる受講者が優先ですが、オンラインからチャットで質問ができるため、チャットでの質問に答えていただくこともできました。

会場が遠い場合や、スケジュールの都合で時間がない時にはこの形式はおすすめです。

 

 

②ライブ配信型のオンライン講座を後日視聴

リアルタイムの講座を録画して、後日視聴するケースです。

一見、①と同じように感じますが、後日の視聴なので質疑応答はできません。

自分の都合のよい時に聞けるので、まずは半分だけ視聴して残りはあとで視聴する、といったことも可能です。

いつでも視聴できる反面、「聞き逃さないようにしっかり聴かなくては」といった緊張感がないため、私の感覚では講座を集中して視聴するのが難しかったです。

急用でリアルタイムでの受講できなかった場合は仕方ないですが、個人的には①の方がよかったです。

 

 


③事前録画配信型のオンデマンド講座

これは①とは全然違いました。

撮影の段階で受講者がおらず、カメラと講師という状況の配信でした。
(Youtubeの撮影済み動画みたいなイメージです)

たまたま視聴した講座のテーマが悪かったのかもしれませんが、講師が話していることが頭に入りにくかったです。

 

 

なぜそう感じたのか。

おそらく、受講者がいない状況での講義では

・説明と説明の合間に受講者がついてきているか、といった間を取ったりしない

・重要なところや、受講者の反応が鈍そうなところを繰り返し説明する、といったことがない

・身振り、手振りもほとんどなく、淡々と話している感じ

・講義の合間に雑談や脱線みたいなものがない

という理由からだと考えています。(あくまでも私の個人的な感想です)

当院にいらしている患者さんに大学の先生がいて、実際にオンデマンド用の授業を撮影したことがあるそうです。

その先生曰く

「一人で紙芝居をしているような感じ」

だとおっしゃっていました。

受講者が誰もいない状況で、一人でカメラの前で長い時間話すというのは難しそうです。

 

①~③のやり方について、受講してみてどう感じたかを書いてみました。

オンライン形式で受講する場合、しっかり聴きたい場合は①、予定が合わず後日聴く場合は②、簡単な講座やちょっと聴きたい場合は③と使い分けるのがよいと思いました。

 

聴こえと健康な未来社会

10月中旬に、東京都医学総合研究所が行っている都民講座

「聴こえと健康な未来社会」

という講座を受講しましたので、今回はその話を紹介いたします。

2023年度 都医学研 第5回 都民講座 聴こえと健康な未来社会
https://www.igakuken.or.jp/public/tomin/2023/23tomin5.pdf

 

 

今回は場所が遠かったのでオンラインで受講しました。

講師は、大阪大学大学院医学系研究科 日比野 浩 先生です。

日比野先生は、元耳鼻咽喉科の医師で、現在は聴こえの仕組みと難聴の研究をされています。

「音」は人間の場合は主に言葉による会話や音楽を聴いたりすることに使われますが、動物の場合、鳴き声は愛の告白や狩りに使われるとともに、危険を察知するのにも使われます。

そのため、音を聴くことは生物によって必要不可欠な営みであるという話がありました。

 

 

「盲目は人と物を、難聴は人と人をへだてる」

というヘレン・ケラーの言葉が紹介され、難聴になると人とのコミュニケーションに大きな影響を及ぼします。

現在、日本では難聴の方は人口の10%程度いて、特に高齢者で増加しています。

難聴は認知症の最大リスクであり、うつ病や社会的孤立にも繋がるそうです。

 

 

耳は、外側から外耳、中耳、内耳・蝸牛で構成されていますが、難治性の難聴は内耳・蝸牛で発生することが多く、薬物治療での対応は難しいのが現状です。

そのため、現在の医療としては中度の難聴の場合は補聴器、高度の難聴の場合には人工内耳による対応となります。

ただ、補聴器はフィッティングが難しく、途中で使用をやめてしまう人も多いようです。

私は「人工内耳」という手段を知りませんでしたが、日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会によると人工内耳の適応は以下の条件になるようです。

引用サイト:一般社団法人 日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会 人工内耳の適応より抜粋
https://www.jibika.or.jp/modules/hearingloss/index.php?content_id=3

成人に対する適応基準では、90デシベル(dB)以上の高度難聴で、補聴器装用効果が乏しいものとされています。残存聴力活用型人工内耳の適応は2014年にガイドラインが発表されおり、500Hzまでが65dB以下、2000Hzが80dB以上、4000Hz以降が85dB以上かつ、補聴器装用下での静寂下語音聴取能が60%未満の方が対象となります。

小児に対する適応基準は、2014年2月に見直しがなされました(本ホームページ参照)。適応年齢は原則1歳以上となります。聴力検査では原則平均聴力レベルが90dB以上の重度難聴があることが条件となります。ただし、補聴器装用を試みても補聴レベルが45dB以上となる場合、補聴器を装用しての最高語音明瞭度が50%未満である場合はその限りでなく適応となる場合があります。

※ 講座の情報より追記

音の大きさの単位:dB(デシベル)

30dB  : 新聞をめくる音
60dB  : 会話
80dB  : 大声
110dB: クラクション

 


人工内耳の適応条件がほぼ聴こえないという条件のため、今のところなかなか普及が進んでいないようです。

耳の難しいところは、がんのように生検(患者の患部の一部を針やメスなどで採取して、顕微鏡などで拡大して見て調べる検査)ができないところにあります。

また、内耳・蝸牛の障害の原因として、有毛細胞、体液、電池生体、血管、神経、脳など様々な器官があり、障害部位の同定が難しいようです。

そのため、生活の中で有害音から聴こえをチェックして守る、スマート難聴予防システムを作り、インフラ化することが検討されているそうです。

最後に、未来の聴覚研究として

・音楽による自律神経の制御の可能性

・聴覚刺激による認知症の制御の可能性

・音刺激による鎮痛効果

などの研究も進められており、音や音楽を使って、内分泌、消化器、筋肉、血液、免疫、自律神経に働きかける次世代医療の創出に繋がってくるのではないかという話でした。

今後、ますます高齢者の人口が増える中で、いかに聴こえを守っていくか、将来の研究が楽しみな内容でした。

 

 

現代のアディクション

9月中旬に、東京都医学総合研究所が行っている都民講座

「現代のアディクション」

という講座を受講しましたので、今回はその話を紹介いたします。
(アディクションとは「依存症」を表す言葉です)

◆2023年度 都医学研 第4回 都民講座 現代のアディクション
https://www.igakuken.or.jp/public/tomin/2023/23tomin4.pdf

今回は場所が遠かったのでオンラインで受講しました。

 

 

講座の内容は以下の2点でした。

(1)身近で多様なアディクション
 依存性物質プロジェクト 副参事研究員 井手 聡一郎 先生

(2)ネット・ゲーム依存の基礎知識と対応について
 神戸大学大学院医学研究科デジタル精神医学部門 特命教授 曽良 一郎 先生

それぞれ学んだことを以下にまとめていきます。

 

(1)身近で多様なアディクション

依存症には物質依存と非物質依存の2種類があります。

物質依存:薬物、アルコール、タバコなど
非物質依存:ギャンブル、インターネットゲーム、窃盗など

近年、薬物(麻薬、覚醒剤、大麻)の使用は若年齢化してきているそうです。

その中でも大麻は検挙者が多く、約7割が30歳未満だということでした。

その理由として、「海外では合法で有害性がない」といった誤った情報がインターネット上に氾濫していることがあげられていました。

薬物の使用を続けると、脳の知的機能の低下や記憶を司る部位が縮んでしまう悪影響があります。

 

 

特定の行動を繰り返し行ってしまう行動嗜癖も含めた非物質依存も増加しています。

特にインターネットゲームは若年者の間で急速に増加しており、精神疾患(うつ、不安、ADHD(注意欠如・多動症))とも大きく関連していて、依存症と精神疾患の併発率は高いそうです。

依存症になると、以下の症状が出てきます。

①精神依存:多好感、陶酔感が起こる、自己抑制が効かない
②身体依存:離脱症状(痙攣、呼吸抑制)

現在、依存症の研究として、がんのスクリーニング検査にも使われている線虫を使った研究も行われているという話もありました。

アディクションは患者の自己責任とされ、専門研究や公的施設がないことが課題でした。

近年、アディクション研究の必要性が高まっており、2024年には国立精神・神経医療研究センター内にアディクション研究センターが設立されることになったそうです。

 

 


(2)ネット・ゲーム依存の基礎知識と対応について

インターネットを介したオンラインゲームなどの普及に伴い、ネット・ゲーム依存は世界的に社会問題となっているそうです。

親もスマホに費やしている時間が多く、子どもとの関わりが減少、家や学校が楽しくない、話をする相手がいないといった理由から、子どもがネットゲームにはまっていき、生活リズムが乱れたり、不登校になったり、精神的に不安定になっていきます。

 

 

・依存症は病気?
→コントロールできないと依存症という病気となる

・依存と中毒は同じ?
→中毒は体の中に薬物が入っている状態。依存は薬物が入っていなくてもほしくてしょうがない状態

・ゲーム脳、スマホ脳はある?
→まだ分かっていない。ICT教育やコロナで加速している

全ての楽しいこと、気持ちいいことは依存症という病気を作る可能性があります。

食べ物、買い物  <  お酒  <  覚せい剤

反復する快感によって、脳の報酬系を司る回路が変化していき、コントロールできなくなっていくそうです。

現在のオンラインゲームは、クリアして終わりというものではなく、SNSで仲間を募ったり、コンテンツが頻繁にアップデートされたり、魅力的なアイテムやストーリー、成長などがあり、利用者を飽きさせないよう工夫されています。

ストレスの逃避場所としてゲームがあり、顔の見えないオンラインでは社交的であるという一面も見られるようです。

 

 

週30時間以上(4時間~5時間/日)、ネットゲームをやっていたら依存症の可能性が高いそうで、やり過ぎと依存の境界も分かりにくく、遅刻ではなく不登校になるといった明らかな問題が生じている場合にはゲーム依存が疑われるそうです。

解決策としては、ゲーム以外の新たな楽しみや興味があることを見つけるとともに、リアルの生活を充実させていく必要があります。

現実世界の困難な状況が変わらないと、ゲーム依存は回復しにくいからです。

依存症は自己責任と見なされることが多く、もっとも理解されにくい精神疾患だそうです。

なお、依存症になってしまった場合、無理やり制限したり禁止しても効果はなく、暴力や盗みなどの問題行動に発展してしまいます。

全くゲームをさせないのではなく、ゲームの時間が少しでもコントロールできたら評価するとともに、ゲームに依存せざるを得なくなった状況を理解することが大事であるという話でした。

 

 

※ ゲーム依存に困っている方に向けた、マニュアルもあるそうです。興味のある方は、以下のサイトから見ることができます。

ゲーム依存相談対応マニュアル
https://www.ncasa-japan.jp/pdf/document45.pdf

「江戸時代の徒歩旅行」という講座を受講してきました

2023年6月下旬に、東洋大学が社会人向けに行っている公開講座

「江戸時代の徒歩旅行」

という講座を受講してきましたので、今回はその話を紹介いたします。

講師は、東洋大学法学部教授の谷釜尋徳 先生です。

現在では旅行の移動手段は飛行機、船、新幹線、バス、車、バイク、自転車など色々とありますが、江戸時代の旅行の基本的な移動手段は「歩き」でした。

駕籠(かご)や馬もあるのですが、料金が高額なのと酔いやすくて長距離に向かないのです。

 

 

記録では、1830年のお陰参りは日本の総人口の内、6人に一人がお伊勢参りをしていたそうです。

それだけ江戸時代には多くの方が旅行を楽しんでいました。

関東や東北から伊勢を目指すと相当な距離になりますので、2~3ヵ月歩き続けたようです。

江戸時代の旅行は、行きと帰りで同じルートを通らない周回ルートでの旅行が一般的だったそうです。

これは、目的地よりも道中での見聞が中心だったので、往復で異なるルートを歩いて多くの異文化に触れて楽しむことが醍醐味なのだということでした。

 

 

以下、いくつかの視点からまとめていきます。

①どれくらい歩いたか

多くの旅行者が旅行の記録として旅日記を残しており、そこから1日どれくらい歩いていたか推測できるようです。

その結果、男性は1日平均35キロ、女性は1日平均30キロも歩いていたそうです。

短い日で20キロ、長い日では60キロも歩いたそうです。

しかも長い距離を移動しますので、それが2~3ヵ月続くことを考えると現代では考えられないくらい歩いています。

 

 

②長距離旅行を支えた周囲の設備

まず、旅行者はガイドブックを持っていたそうです。

ガイドブックには、例えば「八王子から日野までは一里」といったように宿場ごとの距離や位置関係が書かれていました。

道中には一里塚という盛り土、分岐点には道標や次の宿場までの距離の目安が書かれていたり、旅人が道に迷わないような工夫がされていました。

また、ところどころに茶屋や宿場があり、軽食を食べたり、休憩や宿泊ができたそうです。

 

 

③服装や履き物

男性は着物をまくり上げて股引を着用することで足を動かしやすくしたそうです。

その点、女性は着物で少し動きにくかったかもしれません。

履き物は、草履(ぞうり)ではなく、草鞋(わらじ)が着用されていました。

草鞋は踵が紐で固定されるので、歩きやすかったようです。

1つの草鞋の耐久性の目安が40キロ程度だったので、1日に一足は必要になりました

そのため、街道では多くのお店で草鞋が販売されており、履き古した草鞋は専用の捨て場があったそうです。

 

 

④旅費

旅行期間にもよりますが、以下の事例が紹介されていました。

86日間旅をした男性の場合で5両5貫771文(現代の賃金換算で約177万4700円)

151日間旅をした裕福な商家の女性で30両4054文(現代の賃金換算で約919万2970円)

また、お金も銭貨では重かったので、金貨で持っていき街道の宿場にある両替所や旅籠(はたご)で両替していたそうです。
(多くの小判を持ち歩くのは不用心なので、必要な都度、飛脚(現代の宅配みたいなもの)で送ってもらっていたようです)

 

 

⑤歩き方

ナンバ歩きという日本古来の半身の身体動作で歩いていたそうです。

現代では腕を振って反動をつけて歩きますが、江戸時代は右足が出たら右半身、左足が出たら左半身を出す、という歩き方で腕は振っていませんでした。

天秤棒担ぎ、鍬(くわ)打ち、飛脚、剣道、相撲などでその名残があります。

歩き方は地域や民族、着るものや履き物の違いで異なるようです。

 


江戸時代の徒歩での旅行の様子が浮世絵や当時の文献などから紹介されていて、とても楽しい講座でした。


講座の終わりに先生にいくつか質問してみました。

◆それだけたくさん歩いて、どうやってメンテナンスしていたのか?

旅日記にはメンテナンスの記述はほとんど見られなかった。
ただ、松尾芭蕉の記録にもあるようにお灸はしていた可能性がある。
温泉にも入っていたみたいだが、毎日ではない。
江戸時代は長距離を歩くのが当たり前だったので、メンテナンスを必要としていなかったかもしれない。

◆お土産はどうやって持ち帰ったのか?(2ヶ月~3ヵ月も旅行していたら持ち運びが大変)

生ものは冷凍技術や迅速な移動手段がないため、旅行者しか食べられなかった。
日持ちするものは、飛脚を使って配送していた。

現代では、長距離移動手段だけでなく、エレベーターやエスカレーター、ムービングサイドウォーク(動く歩道)などもあり、ますます歩かなくなってきています。

この150年くらいで、移動や生活様式が大きく変わってきたのだなと思いました。

 

「癒しを科学する」という講座を受講しました

2023年1月下旬~2月中旬まで、北区区民大学が主催する

「癒しを科学する」

という講座を4回受講してきましたので、今回はその話を紹介いたします。

第146期北区区民大学「癒しを科学する」
https://www.city.kita.tokyo.jp/shogai_renkei/bunka/gakushu/shogai/kumindai/146kumindaigaku.html

講師は、日本文理大学工学部特任教授の北岡哲子氏です。

癒し工学という分野を研究されているそうです。

癒しという言葉が初めて出てきたのは1988年で、その後1999年に日本流行語大賞でトップ10に入り、癒しブームが到来しました。

 

 

癒しを必要とする人の心は、虚しさや孤独で満たされない状態にあります。

本講座では、癒しという言葉を研究するにあたり、以下のような定義づけがされました。

癒し:心の虚しさを独力で元に戻すことが不可能な人の心を、より好ましい状態に戻すことができる刺激

癒される:そのプロセスであり、心に虚しさがある人の状態が現状より少しでも好ましい状態に戻るその過程

 

 

海外では癒しにあたる言葉として”Healing”という言葉がありますが、これは治療的・宗教的な意味合いが強く、日本でいう癒しとはニュアンスが異なるようです。

また、癒しと似たような言葉や行為として、治療、恒常性による自然治癒、リラクゼーションがありますが、それらと区別するために、癒しの本質を以下の3つの要素と定義しました。

①共に在る
②受容される
③自分を取り戻す、自分の居場所

温泉やマッサージ、アロマなどはリラクゼーションと考え、美しい音を聴く、ペットと遊ぶ、本を読む、おいしいものを食べるといったことは癒しになるという考え方です。

また、誰かに甘えたり、自分の部屋で静かに過ごしたり、スマホやPCで非日常の世界で過ごすという行為も癒しにあたると考えるようです。

何が癒しになるかは、人それぞれですよね。

 

 

そのほか、講座ではどんな物に癒しを感じやすいか、癒される表情とはどんな表情なのかといった科学的な実験が紹介されました。

特に興味深かったのが、癒しの研究の中で開発した表情診断スケールが、精神科の医師との共同研究に使われ、表情からうつ病、パーキンソン病、頭痛などの疾病の有無や重症度の判断に使用されているということです。

ほかにも、タクシードライバーの表情から事故の危険度を推測したり、認知症の早期診断に使用したりと、他の分野でも活用が可能か研究しているそうです。

 

 

さて、講座を受けた感想ですが、癒しが心と体にどんな影響を及ぼすのか、治療やリラクゼーションと併用するとどうなるのかなどを知りたかったのですが、その点についてはあまり触れられなかったのが残念でした。

私の個人的な意見としては、治療、自然治癒、リラクゼーション、癒しにはそれぞれ相互関係があると思っています。

例えば「鍼を刺す」という行為が、治療としての自然治癒力を引き出しつつ、患者さんの話をしっかり聴くことで癒されたと感じてもらい、併用するマッサージやお灸の刺激が心地よいと感じる。

それらは相互性、連続性をもったものであり、患者さんが話を聴いてもらえなかったと感じたり、鍼を痛く感じたとしたら、治療や癒しとしての効果も変わってくるのではないかと考えます。

 

 

もちろん鍼を刺すという機械的な刺激だけ、電動マッサージ機による機械的な刺激だけでも、ある程度の効果はあると思いますが、最大限に効果を引き出すには、それぞれがうまく連動して働くことが必要なのかなと思います。

私は元々、鍼灸マッサージの技術だけで患者さんを良くなるとは考えていません。

鍼灸マッサージの技術を磨きつつ、患者さんによって心地よい環境や受容されたと感じてもらえる言葉かけや振る舞い、患者さんが自分を取り戻すきっかけになるような助言など、これからも様々な視点から施術を行っていきたいと思います。

 

 


参考サイト:癒し工学―起源から最新知見―
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjspe/82/1/82_36/_pdf