「江戸時代の徒歩旅行」という講座を受講してきました

2023年6月下旬に、東洋大学が社会人向けに行っている公開講座

「江戸時代の徒歩旅行」

という講座を受講してきましたので、今回はその話を紹介いたします。

講師は、東洋大学法学部教授の谷釜尋徳 先生です。

現在では旅行の移動手段は飛行機、船、新幹線、バス、車、バイク、自転車など色々とありますが、江戸時代の旅行の基本的な移動手段は「歩き」でした。

駕籠(かご)や馬もあるのですが、料金が高額なのと酔いやすくて長距離に向かないのです。

 

 

記録では、1830年のお陰参りは日本の総人口の内、6人に一人がお伊勢参りをしていたそうです。

それだけ江戸時代には多くの方が旅行を楽しんでいました。

関東や東北から伊勢を目指すと相当な距離になりますので、2~3ヵ月歩き続けたようです。

江戸時代の旅行は、行きと帰りで同じルートを通らない周回ルートでの旅行が一般的だったそうです。

これは、目的地よりも道中での見聞が中心だったので、往復で異なるルートを歩いて多くの異文化に触れて楽しむことが醍醐味なのだということでした。

 

 

以下、いくつかの視点からまとめていきます。

①どれくらい歩いたか

多くの旅行者が旅行の記録として旅日記を残しており、そこから1日どれくらい歩いていたか推測できるようです。

その結果、男性は1日平均35キロ、女性は1日平均30キロも歩いていたそうです。

短い日で20キロ、長い日では60キロも歩いたそうです。

しかも長い距離を移動しますので、それが2~3ヵ月続くことを考えると現代では考えられないくらい歩いています。

 

 

②長距離旅行を支えた周囲の設備

まず、旅行者はガイドブックを持っていたそうです。

ガイドブックには、例えば「八王子から日野までは一里」といったように宿場ごとの距離や位置関係が書かれていました。

道中には一里塚という盛り土、分岐点には道標や次の宿場までの距離の目安が書かれていたり、旅人が道に迷わないような工夫がされていました。

また、ところどころに茶屋や宿場があり、軽食を食べたり、休憩や宿泊ができたそうです。

 

 

③服装や履き物

男性は着物をまくり上げて股引を着用することで足を動かしやすくしたそうです。

その点、女性は着物で少し動きにくかったかもしれません。

履き物は、草履(ぞうり)ではなく、草鞋(わらじ)が着用されていました。

草鞋は踵が紐で固定されるので、歩きやすかったようです。

1つの草鞋の耐久性の目安が40キロ程度だったので、1日に一足は必要になりました

そのため、街道では多くのお店で草鞋が販売されており、履き古した草鞋は専用の捨て場があったそうです。

 

 

④旅費

旅行期間にもよりますが、以下の事例が紹介されていました。

86日間旅をした男性の場合で5両5貫771文(現代の賃金換算で約177万4700円)

151日間旅をした裕福な商家の女性で30両4054文(現代の賃金換算で約919万2970円)

また、お金も銭貨では重かったので、金貨で持っていき街道の宿場にある両替所や旅籠(はたご)で両替していたそうです。
(多くの小判を持ち歩くのは不用心なので、必要な都度、飛脚(現代の宅配みたいなもの)で送ってもらっていたようです)

 

 

⑤歩き方

ナンバ歩きという日本古来の半身の身体動作で歩いていたそうです。

現代では腕を振って反動をつけて歩きますが、江戸時代は右足が出たら右半身、左足が出たら左半身を出す、という歩き方で腕は振っていませんでした。

天秤棒担ぎ、鍬(くわ)打ち、飛脚、剣道、相撲などでその名残があります。

歩き方は地域や民族、着るものや履き物の違いで異なるようです。

 


江戸時代の徒歩での旅行の様子が浮世絵や当時の文献などから紹介されていて、とても楽しい講座でした。


講座の終わりに先生にいくつか質問してみました。

◆それだけたくさん歩いて、どうやってメンテナンスしていたのか?

旅日記にはメンテナンスの記述はほとんど見られなかった。
ただ、松尾芭蕉の記録にもあるようにお灸はしていた可能性がある。
温泉にも入っていたみたいだが、毎日ではない。
江戸時代は長距離を歩くのが当たり前だったので、メンテナンスを必要としていなかったかもしれない。

◆お土産はどうやって持ち帰ったのか?(2ヶ月~3ヵ月も旅行していたら持ち運びが大変)

生ものは冷凍技術や迅速な移動手段がないため、旅行者しか食べられなかった。
日持ちするものは、飛脚を使って配送していた。

現代では、長距離移動手段だけでなく、エレベーターやエスカレーター、ムービングサイドウォーク(動く歩道)などもあり、ますます歩かなくなってきています。

この150年くらいで、移動や生活様式が大きく変わってきたのだなと思いました。

 


【この記事を書いた人】

photo 西ヶ原四丁目治療院 院長の佐藤弘樹(さとうこうき)と申します。
はり師・きゅう師・あんまマッサージ指圧師の国家資格を持ち、病気の治療、予防のお手伝いをしています。

たった一人でも、「治療に来てよかった」と満足していただき、 人生を豊かに過ごすお手伝いをすることを理念としております。
お気づきの点や質問等ございましたら,どうぞご遠慮なくお聞かせくださいませ。

こんな症状の方が来院されています


関連記事


[カテゴリー]