先日、金曜ロードショーで放送された映画「こんな夜更けにバナナかよ」を見ました。
この映画は全身の筋力が徐々に衰えていく進行性筋ジストロフィーという難病を抱え、北海道札幌市に在住していた男性の鹿野靖明(しかの やすあき、1959年 – 2002年)を取材したノンフィクション作品です。1人では体を動かせないうえ、人工呼吸器の使用により痰の吸引を24時間必要とする鹿野が選んだ自立生活と、それを24時間体制で支えるボランティアたちの交流が描かれています。(※)
※ こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋
映画の冒頭から驚きの連続です。
一人では食事も排泄も体を動かすこともできない鹿野(敬称略)が、とにかくわがままで自分勝手、ボランティアたちに対して言いたい放題です。
映画のタイトルにもなっている、「夜更けにバナナを買ってきてほしい」という頼みごとには思わず笑ってしまいました。
「俺がわがままに振舞うのは他人に迷惑をかけたくないからって縮こまっている若者に、生きるってのは迷惑を掛け合うことなんだって伝えたいからなんだ」
この言葉に生きていくことの難しさと尊さが詰まっていると感じました。
他人事のように思えますが、自分自身、いつどんな病気になるか分かりません。
また、年をとれば少しずつできることが減って、できないことが増えていき、誰かに迷惑をかけながら生きていくことになります。
鹿野の周囲の人たちも、英検2級に合格してアメリカに行くという夢に一途で自由奔放に生きる鹿野に、次第に影響を受けていきます。
「結局、誰かの助けを借りないとできないことだらけだから、思い切って人の助けを借りる勇気も必要なんだよね」
この言葉にもとても考えさせられました。
人に迷惑をかけてはいけないという思いと、人に迷惑をかけてもいいんだ、誰かの助けを借りてもいいんだという思い。
これらは対立するものではなく、どちらが正しいというわけでもなく、どちらの状況にもなり得ます。
素直に誰かに頼ることで助かることも多いし、頼られることが生きがいになることもあります。
鹿野の没後16年が経った現在でも、鹿野ボランティアの方々が、鹿野の母親のところに集まって思い出話に花を咲かせていることからも、鹿野が周囲にとってとても大きくて大事な存在だったことが分かります。
進行性筋ジストロフィーという難病は本当に大変だと思いますが、ユーモアを交えながらうまく表現した素晴らしい映画でした。