日本講演新聞の記事からのご紹介です。
※ 2020年から、新聞の名前が「宮崎中央新聞」から「日本講演新聞」に変わりました。
宮崎中央新聞社のサイト
https://miya-chu.jp/
本新聞で小説家の森沢明夫さんが紹介していた
「指を失ったからありがとうと言われる人生になれた」
という、愛知県に住んでいて三河のエジソンと呼ばれている加藤源重さんの話が印象に残りました。
1991年3月、機械工として働いていた加藤さんは、機械の修理中の事故で、利き手である右手の5指を失ってしまいました。
そんな中でも、
「わしの右手は、使い勝手が悪くなってしまった。なんとか使いやすくしたいものだ。
故障した機械だって、使いにくい機械だって、工夫したり、直したりして、使いやすくしてきたじゃないか。できる。きっとできる。」
と自分を励ましました。
まず始めに作ったのは、右手の働きを助ける器具です。
使い慣れたハンマーもペンチもドライバーもスパナもうまく使えず、一度は挫折しそうになります。
しかし、そんな時には、頑張っている左手に「焦らなくてもいい、失敗したっていい、そのうちうまくできるさ」と働きかけながら楽しそうに作業を続けました。
作業を続けて6ヵ月後、ついに「万能フォルダー」という右手の働きを助ける器具が完成しました。
その後、同じように手が不自由な人に頼まれて、片手用で力がいらない、洗濯ばさみを開発することになりました。
「わしも怪我をする前は、体が不自由な人のことなど、気が付かなかったもの。でも、この手になって、今まで気が付かなかったことに気が付くんだ」
と、自分自身が不自由だからこそ気が付く着眼点があるのだと言っています。
この仕事をきっかけに、
「もし不自由を自由に変えられるなら、わしがいっぱい考えて、工夫することで、嬉しくなる人ができるなら頑張らないといけない」
と決心し、発明家への一歩を踏み出します。
その後も、
・持ちにくいものをしっかり固定できる「万能固定器」
・手の弱い人が使う「くるくるフォーク」
・洋服を着られない人のための「らくらくきられーる」
・足腰が不自由でも外出時のトイレに困らない「折りたたみ式便座イス」
・手や目が不自由な人のための「らくらくシャンプー」
など、不自由で困っている人のために開発した様々な作品が注目され、作った作品が発明大会のグランプリを受賞し、新聞やテレビでもたちまち放映されるようになり、ひっきりなしに依頼が舞い込むようになります。
それらは、全て依頼してきた「その人」のために作るもの。
「障害は一人ひとり違う、だから自助具もその人に合ったものでなければ意味がない」
という考えで一つひとつ実績を積み重ねて、いつしか「三河のエジソン」と呼ばれるようになったそうです。
本新聞の記事で、森沢さんがした
「もし右手が健在だったら、もっといろんな発明品が作れたんじゃないかと考えることもあるのではないですか?」
という質問の答えがまた素敵でした。
『全くありません。今はこの指のない右手にこそ一番感謝しています。ここに指がないからこそ、自分は人から「ありがとう」と言われる人生になれたんです」
参考文献:
三河のエジソン―障害を克服する自助具の発明家 加藤源重
三河のエジソン―障害を克服する自助具の発明家 加藤源重 (感動ノンフィクションシリーズ)