痛いところから見えるもの
頭木 弘樹 (著)
本書は「どうしたら痛みが楽になるのか」ではなく、「痛みを抱えている人はどんな気持ちでいるのか」または「痛みを抱えているとどんな状況になるのか」といったことを描いていて、今までにない本でした。
そもそもどう痛いのか、どう苦しいのかを伝えることさえ簡単なことではありません。
痛みは主観的な経験であり、自分の経験から推測するしかないからこそ、そばにいる家族でもその痛みを分かってあげることは難しいのです。
著者が自身の経験を描いている中で、すべての食品は「痛いか・痛くないか」で分類されていった、お粥さえ食べられず、水も痛くて飲めないという話はあまりにも過酷で、経験した人にしか分からないと思います。
また、手術時の痛みの話を当時の入院患者で顔見知りのおじさんにしたら急にぽろぽろと涙をこぼし始めた話も印象的でした。
そのおじさんが痛みを理解してくれたからといって何の意味もないのですが、孤独を感じたときに自分の痛みを本当に分かってくれる人がいる、というのは心の支えになるというのは事実だと思います。
自分の痛みの経験を元に他人の痛みを理解しようとするのは、感受性が異なる相手の痛みを過小評価して否定してしまうことにつながってしまいます。
しかも、痛みというのは激痛の最中は痛すぎて痛みの説明ができず、痛みが落ち着くと、どんな痛みだったのかという痛みの実体が思い出せないことが多く、人に伝えるのは本当に難しいものです。
ほかにも、短時間の疑似体験はかえって理解を浅くする場合もあるというのは興味深かったです。
視力や聴力を低下させる疑似体験装具を装着して高齢者の大変さを理解したつもりになっても、それはたった1日だけの体験であり、その状態でずっと人生を送ることとは全く違います。それにも関わらず、体験して「わかったつもりになる」と当事者の訴えを軽く考えてしまうというのは、ありがちだと思いました。
さらに、病気のコントロール感の話も勉強になりました。
何を食べたら体調を崩すのか、何をしなかったらよい調子でいられるか、自分の身体に起こることをずっと見張っているというのはとても大変なことだと思います。
前は大丈夫だったのものが次はダメだったり、法則がなかなか見つからなかったり病状のコントロールができないことで、人生そのもののコントロールも失っていきます。
痛みをコントロールできなくてつらい状態を、リストカットという自分で切ることでコントロールできる痛みに変えるという考え方は参考になりました。
「痛み」という事象について、多面的な論点から考察しており、非常に考えさせられる内容でした。
痛みで困っている人だけでなく、その家族や友人が読むことで相手の痛みを理解するのは簡単ではないことが分かると思います。

痛いところから見えるもの (文春e-book)




西ヶ原四丁目治療院 院長の佐藤弘樹(さとうこうき)と申します。