音のない理髪店
一色 さゆり (著)
日本のろう学校ではじめてできた理髪科を卒業した一期生で、自分の店を持った最初の理容師である五森正一を祖父にもつ五森つばめ。
作家デビューしたものの、新しい作品が書けずに悩んでいたつばめが、祖父の半生に興味をもち、取材しながら祖父の生き様を描いていく物語です。
亡くなった祖父の半生を知るために、父、伯母、祖母、祖父の恩師と順番に話を聴いていく中で明らかになっていく、祖父の強い覚悟と信念を持った生き様は壮絶でした。
聴こえないことで、相手と分かりあえなかったり、自分の気持ちをうまく伝えられなったりする現実をどう受け入れて困難に立ち向かっていったのか。
生きていく中で、相手を打ち負かそうとせず、自分のすべき仕事を淡々と続けるという戦いをしてきた祖父。
悲しみや理不尽さと向き合いながらも、一歩ずつやるべきことをやってきた祖父の正一の物語は感動的でした。
聴覚障害や手話についても知らないことがたくさんあって、とても勉強になりました。
手話は、落語や講談のように登場人物を演じわけて画面を再現するため表現力が問われ、脳内のイメージを目の前に浮かびあがらせる言語であるということ。
さらに「食べる」という動きでも食べるものによって動きが異なったり、同じ手話でも地域や世代によって差があるということは全く知らなかったです。
また、ろう者の権利についても、財産に関する法律行為の対象から外されて家業を継げなかったり、結婚や出産、子育ても自分の意志で決められなかったりと、今では考えられないくらいの差別があったことも初めて知りました。
本書で描かれているヘレン・ケラーの講演会も素晴らしかったので、以下に本文から抜粋します。
「私たちは人になにかを伝えたり、意思をつなぐのにも骨が折れます。しかし忍耐力を以って継続していけば、なにかの弾みで変わるかもしれない。はじめは難しいことも、つづけていけば必ずできるようになりますからね。たとえ今、あながが成し遂げられなくとも、別の人がつないでくれると信じてください。
それに、目の前に壁が立ちはだかっているように見えても、じつは思い込みにすぎない場合もあります。本当は壁なんてないのに、ただ自分が怖がっているだけではないか、と胸に問うてください」
このヘレン・ケラーの言葉にあるように、ろう者の理髪科設置についても、最初にろう教育をはじめた人、それを徳島に持ち帰った人、ろう教育を公立にした人、校舎を作った人、理髪科を立ちあげた人、理髪科で教えた人、そして自分の店を持って理髪業を営んだ正一。
みんなが時を超えて、聴こえない子どもたちのためにやるべきことを信じて戦ってきた人たちが一人ずつバトンを渡して、それがつながって今があるという言葉は胸に響きました。
聴覚障害の関係者だけでなく、多くの人におすすめしたい一冊でした。

音のない理髪店