身体技法研究者の甲野陽紀さんの書籍『身体は「わたし」を映す間鏡である』からのご紹介です。
本書の「アタマ言葉とカラダ言葉」の話が印象的でした。
「意識」と「注意」
「体感」と「実感」
「見る」と「視線を向ける」
など、ちょっとした言葉の違いで、身体の動きや安定感が変わるという話です。
例えば、「注意を向ける」は、身体の動きを滑らかに優位にするカラダ言葉。
「意識をする」は、計画を立てたり考えをめぐらすためのアタマ言葉。
意識という言葉は何かを見たり覚えたり、今までの前提を変える必要があるときに標準を合わせるべき一点を変更する目的で使うと効果がある。
それに対して、注意は、意識したことを受けて実行に移すときの言葉。
私はよく患者さんに「○○を意識して動かしてみてください」という言葉を使っています。
でも、実際に身体を動かす場合には、まず「意識」したうえで「注意を向ける」方が身体の動きが滑らかになる、というのが甲野陽紀さんの考えです。
声かけの言葉の微妙な違いによって身体の動きやすさにも違いが出る、ということを今まであまり考えたことがありませんでした。
私自身、まだそれほど実感できていないのですが、言葉の違いも考えながら患者さんへの声かけをしていこうと思います。
身体は「わたし」を映す間鏡である