手洗いがやめられない 記者が強迫性障害になって

手洗いがやめられない 記者が強迫性障害になって
佐藤 陽 (著)


強迫性障害と聞くと、「玄関の鍵やガスの元栓を閉めたっけ?」が最初に思い浮かびましたが、手洗いがやめられないことも代表的なものだと思います。

そんな症状と30年付き合ってきた著者の体験記は同じ病気を抱えている人には参考になると思いました。

 

 

本書に出てくる「6割主義」や「できたことに目を向ける」などは、他の精神疾患でも役に立つ内容だと思います。

この病気で本当につらいのは「巻き込み」です。

家族などの身近な人を巻き込むことになる患者本人もつらいし、巻き込まれた家族もつらいです。

本書の最後にある奥様との対談で奥様自身が語っていますが、ある程度症状が落ち着いてきた今の方がつらいというのは驚きでした。年も重ねているし、負担も蓄積していたのだろうと想像できます。

 

 

大変な子育てや家事をほとんど一人でこなし、子どもが手を離れたから夫婦で出かけたいと思っても、強迫性障害のことで気を遣うのが大変で近所のスーパーでもヘトヘトになるくらいストレスが強く、外出しないほうがマシと思えてしまうくらいなのだから、ものすごい負担だったと思います。

著者が自分のことでいっぱいいっぱいなのは理解できますが、「僕を置いて娘と出かけるから寂しい」とか「一緒に外出しなきゃ、俺の訓練にならない」といった発言はちょっと奥様への感謝や労いが足りないと感じてしまいました。

 

 

さらに、「それなりに生活を送れているわけだから、別に頑張って治さなくてもいいんじゃないかと思えてきた」とか「治そうと思って月1回カウンセリングに行ってるし、薬も飲んでいる」という著者の発言に対しての奥様の言葉も痛烈でした。

「考えが基本、他力本願なのよ。クリニックに通ってるからなんとかなるだろうという感じ。いつも言っているけれど、最終的には自分なんだよ。治せるのは自分しかいなんだよ」という言葉は著者にどれだけ響いているのでしょうか。

もちろん患者本人がつらいのも分かりますが、巻き込まれている家族の気持ちやつらさにも目を向ける必要性がよく分かる対談でした。

 


手洗いがやめられない ー記者が強迫性障害になってー

マンガでわかる!うつの人が見ている世界

マンガでわかる!うつの人が見ている世界
大野裕 (監修), NPO法人地域精神保健福祉機構(コンボ) (監修), 工藤ぶち (イラスト)


本書は、100人以上の当事者の声をもとに作られた「心の不調がある人」と同じ目線で寄り添うために作られた本です。

「おわりに」にも書かれていますが、本書はうつ症状や精神疾患のある人たちの目線でわかりやすく症状を伝えるとともに、こんなふうに接してほしいということが中心に書かれていて、医学的解説はほとんどありません。

だから、「うつ症状を治療したい」という人向けではないのですが、うつ症状や精神疾患のある人たちの感じ方や気持ちが実体験を元に漫画形式で分かりやすく説明されていて、とても読みやすかったです。

 

 

第1章で「うつの人が見ている世界」を説明し、第2章で「うつの人の世界に寄り添うコツ」が紹介されており、うつの当事者だけでなく、家族や仕事仲間、友人など周囲の人にも当事者の想いが分かる内容になっていたのがよかったです。

うつ症状の患者さんの「わかってもらえない」という気持ちと、周囲の人の「わかってあげられない」、「せっかくアドバイスしているのに」という気持ちがぶつかりあってお互いの関係がギクシャクしてしまうというのは本当によくあることだと思います。

「何かできること、ある?」という声かけや、共感やアドバイスではなく「ただじっくり話を聞く」という支え方、これからのことよりも今生きているだけで精一杯という気持ち、など当事者の意見を元に寄り添うコツが紹介されているので、本書は周囲の人に役に立つ内容になっていると思いました。

 

 

身近にうつ症状の人がいる場合には、本書を読むと接し方が変わると思うので、ぜひ読んでほしい一冊でした。

 


マンガでわかる!うつの人が見ている世界

19番目のカルテ 徳重晃の問診(8)

19番目のカルテ 徳重晃の問診【8】(ゼノンコミックス)
富士屋カツヒト 、 川下剛史

なんでも治せるお医者さんを目指して奮闘する医師の物語の第八巻です。

第八巻では、

・母娘による老老介護
・セカンドオピニオン
・生後6か月の赤ちゃんを抱える片頭痛の女性
・ユーチューバーの皮膚科医

の話が掲載されていました。

個人的には「母娘による老老介護」と「セカンドオピニオン」の話が印象的でした。

 

「母娘による老老介護」は、82歳の母を60代の娘が介護する話です。

アルツハイマー型認知症や慢性心不全を患っていて一人では食事もできない母を娘のリカさんが介護しています。

 

 

ある日、お母様の訪問診療に伺った徳重先生が、リカさんの声が枯れていることに気が付きます。

最近風邪をひいたというヘビースモーカーのリカさんでしたが、2週間後に訪問してもリカさんの症状が改善されておらず、食事の時にも喉が詰まって苦しいと言うと、徳重先生が病院での検査をすすめます。

そこで食道がんが見つかるのですが、母の介護をどうするか、自分の過去を振り返りながら考えていきます。

 

 

母は子どもの頃から厳しく、何かあると「いい人と結婚して子供をたくさん産みなさい、男は外から女は内から家を支える」と呪文のように唱え続けられます。

「あなたのために」という言葉を免罪符に干渉してくる母が疎ましくなり、家を出て母と疎遠になります。

数十年ぶりにあった母が認知症を患って娘の自分のことも分からなくなった時、人として正しくあるためという責任感から介護をすることを決断したのです。

しかし、リカさん本人が食道がんになり手術も必要な状況で、今後どうしたらよいか徳重先生が話を聴いていきます。

「あなたが病気を抱えてまで無理をする必要はありません」

「家族だからと自分の命を犠牲にして続けていたら家族そのものが機能しなくなってしまいます」

「その歪みが誰かに負担を与えるぐらいなら、正しく機能するように形を整えることを考えた方がいいでしょう」

と、うまく折り合いをつける方法を提案していきます。

家族の介護をやめるという決断はなかなか難しいですが、何が大切か、どう折り合いをつけていくか真剣に相談に乗る徳重先生の姿が印象的でした。

 

 

「セカンドオピニオン」は、胃もたれで食欲がなく、胃がキリキリする感じに悩まされる中年女性の翔子さんの話です。

小学生の頃からお世話になっているかかりつけ医に処方された薬を服用していますが、なかなかよくなりません。

 

 

そんな翔子さんの様子を見た夫がセカンドオピニオンを提案、しかし、翔子は長年お世話になっているかかりつけ医に申し訳ないと悩みます。

セカンドオピニオンとして徳重先生と滝野先生がいる魚虎病院を受診するのですが、夫が「前医が古い病院で心配だ」、「しっかり診てほしい」とプレッシャーをかけてきます。

徳重先生と滝野先生の診断もかかりつけ医と同じ「機能性ディスペプシア」で方針も問題なし。

あとは、いかに翔子さんとその夫に伝えて納得していただくか、伝え方が重要な局面になります。

 

 

滝野先生は、翔子さんのかかりつけ医の先生が、どのように考えて、どんな検査をしてきたのか、色々な角度から翔子さんの病状をしっかり診ていたことを伝えます。

「病気が治らないのは診断が間違っているから。だから最新の医療機器で色々な検査をすれば違う診断がつくはず」

そう考える患者さんが多いと思います。

「セカンドオピニオンは前医と違う診断をつけることが目的ではなくて、患者さんとその家族が納得できるよう手助けするのが本来の目的であり、別の視点として存在していることが大事だ」と徳重先生は滝野先生に語りかけます。

実際、滝野先生が翔子さんと夫にした説明は素晴らしかったと思います。

 

 

前医のことを否定したり、患者さんが言うままに無駄な検査をするのではなく、翔子さんのかかりつけ医が丁寧にしっかりと翔子さんを診てくれたことが伝わり、翔子さんも安心できたと思います。

セカンドオピニオンや患者さんへの伝え方について、考えさせられる内容でした。

 


19番目のカルテ 徳重晃の問診 8巻【特典イラスト付き】 (ゼノンコミックス)

セラピスト

セラピスト
最相 葉月 (著)


守秘義務に守られたカウンセリングの世界で起きていることを知りたい。人はなぜ病むかではなく、なぜ回復するかを知りたい。人が潜在的にもつ力のすばらしさを伝えたい。

自分自身も心の病を抱えながら、臨床家を目指す人々が通う大学院に通い、週末は対人援助職に就く人々が通う専門の研修機関で学んでまで知りたかったカウンセリングの世界で著者が知り得たことが、余すことなく描かれていた渾身の一冊だと思います。

 

 

以下、「 」で囲っているものは本文から抜粋しました。

冒頭から始まる中井久夫氏との絵画療法。絵を描いた際のやりとりや実際に書かれた絵が示されており、そのプロセスはとても勉強になりました。

「絵を描く際、枠があると守られているような、この枠の中の世界は意のままにしてよいという許しを得たような気持ちが、まるくやわらかくなった。一方、枠がないと直線ばかり使ったようにどこかトゲトゲしく攻撃的になる」

画用紙に枠があるかないかで何が違うのか。これは実際にやってみた人間でないと分からないことだと思います。

 

 

本書の前半は心理療法の推移と河合隼雄氏の箱庭療法のことが中心に描かれていました。

「箱庭とは、クライエントが一人で作るものではなく、見守るカウンセラーがいてはじめて、その相互作用によって作られるもの。どんな表現が行われても受容しようとする、治療者の安定した姿勢が箱庭の表現に影響を与える。「自由にして保護された空間」を治療者と患者の関係性の中で作り出すことが治療者としての任務である」

「クライエントが言葉で表現する代わりに玩具や砂によって示す世界を共に味わい、訴えてくるものをしっかりと受け止めることがこの治療法の重要な前提だが、その際、治療者が早急に解釈することに対して河合は注意を促している」

「ある作品はこういう世界を表す、と断定することは治療の流れを阻害し、クライエントの一言では表現しえない思いを決めつけることになりかねない。無用な介入はしないし、完成したあとの質問もできるだけせずに、心の動きに従うことの大切さを強調していた」

箱庭療法はどんなものなのか、なぜマニュアル化することを避けたのか、具体的な事例を元に説明がなされており、とても分かりやすかったです。

 

 

本書の中盤からは中井久夫氏の風景構成法やDSM-Ⅲというアメリカ精神医学会の精神疾患分類による診断基準が入ってきた話です。

「患者さんは沈黙が許容されるかどうかが、医師を選ぶ際の一つの目安だと思っているくらいです。でも、十分間の沈黙は本当に長い。でも中井先生は全く平気でした。どうされましたか、みたいなこともおっしゃらない。だって、そんなものは必要ないです。患者さんは何かあるから来ているに決まっているから」

「患者の苦悩に寄り添い、深く関与しつつ、一方でその表情や行動、患者を取り巻く状況に対しては冷静で客観的な観察を怠らない。それは沈黙する患者のそばに何時間でも黙って座り続け、患者の言葉一つ一つに耳を傾ける心理療法家としての姿勢と、その一挙一動に目を凝らし、客観的なデータを得ようとする医師としての姿勢を併せもつ中井の姿勢そのもの」

そのほか、事例研究会の話も実際に著者本人が体験したものであり、具体的に書かれていて勉強になる内容でした。

「発表者はクライエントの服装や化粧の濃淡、話し方の特徴から交わしたやりとりまでを細かく再現し、指導教官や他の学生たちからアドバイスや感想をもらう。自分一人では見えなかったことが、第三者の指摘によって明らかになる。クライエントとカウンセラーという二者関係で行われるカウンセリングには、こうした事例研究会やケース検討会と呼ばれる第三者との意見交換のプロセスが重要視されていた」

 

 

本書の後半は、近年の精神疾患の話や心の病を抱える患者さんが増えている話です。

心療内科にかかる患者さんが増加し、一人のクライアントに時間をかけるゆとりがなくなってきました。

さらに、箱庭や絵画のようなイメージで表現する力が低下しているせいか、箱庭や絵画がやりにくくなっているといいます。

その結果、じっくり時間をかけてやる箱庭療法や絵画療法を行うケースは減少してきているようです。

 

 

「1970年代から80年代はパーソナリティ障害の一種である神経症と精神病の境界領域にある境界例、1990年代は解離性障害や摂食障害、2000年代に入ってから目立つのは発達障害」

「日本で心理療法が始まってから、だいたい十年サイクルで心理的な症状が変化している」

「近年は、自分が何を思っているのか分からない、何を感じているのかも分からない、ただただ苦しい、つらい、死にたいという患者が多い」

「もやもやしているという言い方が多い。怒りなのか悲しみなのか嫉妬なのか、感情が分化していない」

「二十一世紀になって急速にすすんだIT化や成長社会から成熟社会への転換、少子化や家族形態の多様化など、社会的な要因もある」

「発達障害は昔からあったが、サービス産業の多様化や情報化社会におけるコミュニケーション形態の変化など、社会の第三次産業化に応じて不適応者としてはじき出され、可視化されてきた」

 

 

社会の変化とともに、患者に現れれる心の病のあり方も変化してきている様子が見てとれました。

最近では認知行動療法が多く使われているそうですが、一人ひとり異なるクライエントに一つの心理療法を適用するということでは通用しなくなってきています。

これから益々増えるであろう心の病とどう向き合っていくのか、どう付き合っていくのか、多くのことを考えさせられた一冊でした。

 


セラピスト(新潮文庫)

小児科の先生が車椅子だったら

小児科の先生が車椅子だったら
熊谷 晋一郎 著


脳性麻痺の小児科医が、障害や依存について子どもでも分かるように解説していて読みやすかったです。

昔のリハビリ医療というのは「健常児に近づける」ものでしたが、脳性麻痺という治らないものを無理に治そうとするのでははなく、どうやったら生活しやすくなるか考えていくことの必要性がよく分かりました。

 

 

体のなかに障害があるという考え方のことを「医学モデル」、狭い通路や段差、階段など体の外に障害があるという考え方を「社会モデル」という二つの考え方があるという話。

医学モデルで障害をなくすには、手術やリハビリをするしかないけど、どんなに頑張っても人はそんなに変わらない。

だからこそ、建物や道具、道を変えていく社会モデルで障害を考える必要がある。

あなたの努力が足りない、もっと頑張らないとダメ、と言われ続けた熊谷先生の言葉はとても優しく説得力がありました。

 

 

また、女性で初めてノーベル経済学賞をとったオストロムという研究者が提唱した「コ・プロダクション」という言葉を知らなかったので勉強になりました。

これは、サービスを受ける側が、サービスの設計や運用に参加しなければうまく機能しないため、最初のデザインの段階からそれを受ける側、使う側の双方が関わる必要があるという考え方のことです。

本書の後半は、Chio通信という子どものことや社会のことを考えたエッセイの一部が紹介されていました。

障害に対する考え方や社会で起きている問題との向き合い方など、気付きになることが多い一冊でした。

 

 


小児科の先生が車椅子だったら ─私とあなたの「障害」のはなし (ちいさい・おおきい・よわい・つよい No.123)